ブルー・オン・ブルー

 ** 1.けもの の じじょう **

 獣は眠っておりました。
 なぜなら面倒くさかったからです。
 獣が一番大好きだった人間は、とっくの昔に死んでしまって、その魂は空と空気に溶けて、新しい命になってしまっていたからです。

「君がいない世界で、生きている意味なんて無いのに」

 生きていることも面倒くさかったので、獣はなるたけ生きていることをやめようと思いました。
 生きているというのは、息をして、動いて、食事をして、考えて、そういうことですから、そういうことをなるたけしないでいようと思ったのです。

 だからこうして、独り言と眠りの時間を、延々と繰り返しているのでした。
 獣は体がとても頑丈でしたので、病気をして弱ってしまうことはありません。
 獣は食べるものが普通と違いましたので、おなかを減らして飢え死にしてしまうことはありません。
 本当は本当は、獣だって死んでしまいたかったのです。大好きだったあの人が、死んでしまったその時に。ところが、その人はそれも許してくれませんでした。
 なんといっても――
「君が、僕なんか生かしてくれたりするから」
 勝手に死ぬことなんて、出来なかったのです。
 だからこそ。
 獣は眠っておりました。
 死ねないから生きないように、ただただ眠っておりました。

 *

 日の光も届かぬ暗い洞窟の奥。
 身を丸めて眠っていた一匹の狼が、わずかに身じろぐ。
 懐かしい匂いが、したからだった。
 ――うそ、だ。
 眠りすぎて鈍ってしまった体を一度の伸びで元に戻すと、狼は一目散に駆け出した。
 間違うはずの無い、しかしあるはずのない匂い。
 死んでしまった、あの人の匂い。
 獣の本性で、本当はその死体だって食べてしまいたいと思ったけれどどうしてもそれは出来なくて、心がそれを許さなくて、だから穴を掘って、身を横たえて、花を添えて、また埋めて、最後に若木の枝を突き刺した。
 その人の、匂い。
 自然と足は、『墓』へ向かう。
 眠っていたので時間感覚はあやふやだろうが、それでも人が一人生まれて死んでまた生まれる位の時間は経っているはずだった。どんな魔術師だって、それほど長い時間を『死んで』過ごすことなど出来ない。
 実際、墓だったはずの場所には、青々と生い茂る大木が聳えていた。あの時突き立てた若木が、根を張り枝を伸ばした結果として。自然の時の流れの結果として。
 そして、その木の下で、女の子が一人泣いていた。

 匂いの主は、女の子だった。
 ぼろぼろの、布切れとしかいえない服とも呼べないものを纏い――毛皮の無い人間には、服が必要なのだということを狼はちゃんと知っている――、やせ細って骨と皮だけの少女。髪は整えられないまま伸び放題で、艶も無く縮れている。見た目だけを信じて言えば、年のころは十歳ほどだろうが、痩せ方からして十分な栄養のある状態とはとても思えず、ならばもう少し上と見るのが妥当だろう。見た目と年齢が等価になるほど十分に成長しているとは思えない。
 狼は、少しほっとして、そしてかなりの部分で怒りを感じていた。
 ほっとしたのは、その娘が記憶の中のあの人と、全く違う姿だったから。
 怒ったのは、子どもをこんな姿にする人間たちのありようだった。
 わざと音を立てて狼が近づくと、はっと驚いたように女の子は顔を上げた。狼を見つめるその瞳の色は青く、若草ほどに鮮やかな緑の目をしていたあの人とは、やはり似ても似つかなかった。
 狼は、ほう、と息を吐く。その吐息で、足元の草がそよぐ。女の子はびくりと肩をすくませる。すくませて、じっ、と狼を見た。それから、ゆっくりと引き結んでいた唇を開く。
「あなたが、おおかみさま?」
 狼は答えない。けれども女の子は気にも留めずに、じっと狼を見据えたまま言葉をつないだ。
「おおかみさま。わたし、あなたにもらわれにきたの。どうかわたしをたべてください。おおかみさま。そして、むらをたすけて」
 じっと、狼は女の子を見ている。女の子は、視線をそらすことも、おびえることもしないまま、狼の、大きくて黒い目を見据えて、舌っ足らずに言った。
「おおかみさま。もし、おおかみさまが、おおかみさまでなくて、ただのおおかみなら、おおかみさまにつたえてください。わたしをたべて、むらをたすけてって。もし、おおかみさまがおおかみさまなら、おねがいです。わたしをたべて、むらをたすけてください」
 狼は女の子を見て、そして考えた。
 女の子の言うところの【おおかみさま】は、おそらく自分のことだろう。このあたりを縄張りにして、【村を助けて欲しい】と願われるような【狼】は、己くらいのものだろうから。助けてほしいと願う村は、なら何なのだろう。わざわざ、働き手にもなれそうな年の女の子を差し出すほどのこととは何か。しかも、食べろとは。願うならばまず、願う相手の好みくらいは把握していて欲しいものである。

 狼は、ゆるゆると首を左右に振った。意思が伝わるように、視線をそらさず、はっきりと。
 女の子はとても傷ついた顔をして、悲しそうに目を伏せる。
「かってなおねがいだって、わかっているんです。でも、でも……おとうとたちをたすけて。おかあさんをたすけて――――たすけて。おねがいですから。わたしなんて、どうなってもいいんです。だから……」

 ほう、と息を吐いて狼は口を開く。
 嗚呼、人に口を聞くなんて、何年ぶりだろう。

「僕は、人を食べない」


 ** 2.かのじょ の はじまり **

 私の村は、小さなところです。
 二十に満たないくらいの家族が住んでいて、井戸が一つ。学校が一つ。小さな寺院が一つ。畑と家畜は共同で世話をして、共同で分けています。井戸の水はそのままでは飲めないので、毎日煮沸して使います。
 畑と家畜の世話は男の仕事で、家のこと、水の準備や食事の支度が女の仕事です。
 子どもは、昼間学校へ行って、夜は家で休みます。学校では、男の子は畑の耕し方と家畜の世話の仕方を教えてもらいます。女の子は、火の起こし方、水を飲めるようにするやり方、料理に裁縫などを習います。学校で子どもたちが作ったものも、みんなで分けて使います。
 みんな働かなければ生きていけないので、みんな一生懸命働いています。

 ある日のことです。
 いくら煮沸かしても、いくら漉しても、井戸の水が飲めなくなってしまいました。
 悪い人が、井戸水に毒を入れたんだとかそういう噂が流れましたが、そもそも、この小さな村で、井戸水を汚したら自分も水を飲めずに死んでしまいますから、村人ではないだろうということでした。
 じゃあ、悪い人は誰だろうか、という話になりました。でも、そんな話もそのうち消えました。目の前にある問題の方が重要でした。つまり、水が飲めない、ということが。
 水がなければ、畑は耕せません。家畜に水とえさを与えることも。そもそも、私たちも乾いてしまいます。
 まだ雨季まではしばらくある頃でしたから、雨も少なくて、とても十分とは言えませんでした。

 そのうち、まず作物が枯れていきました。それから、小さい子どもが死にました。学校にも行かないような、乳飲み子が。次に老人が死にました。働けなくなった老人たちが。中には、自ら口減らしの為に死んだ人も居たそうです。そうするうちに家畜たちが死んで、だんだん人は弱りました。
 いつまで待っても、井戸の毒は消えそうにありません。
 村を離れるべきだ、という話も出ましたが、どこまで行けば、どこへ行けば良いのか分かりませんでしたし、先祖代々守ってきた土地を、いいえ、自分たちが生まれ育った村を離れるなんて、頭では分かっていたのですが、心が許しませんでした。

 みんなみんな、この村で死ぬんだと思いました。
 実際どんどん死んでいましたし、もう逃げ出せないほど食料も水もなくなっていました。逃げ出したって、死ぬことは同じでしたから、死ぬなら故郷で死にたいと思ったのです。

 そうして、私を残して、私だけを置き去りにして、その小さな小さな村は滅びました。


 ** 3.いたみ の りゆう **

 むかしむかしのおはなしです。

 昔、世界を作った神様には、一人娘がおりました。
 娘は確かに神様の子どもでしたが、神様になれない、ただの人間でした。
 ですから神様は、やっぱり一人きりでした。
 それでも、娘は神様のことが、父親で母親が大好きでしたから、ずっと神様のそばにいて、にこにこ笑っておりました。

 そして娘は、人として老いて死にました。

「だいすき」

 最後の最期、その一瞬まで、微笑んで言いました。

 神様は、初めて涙を流しました。
 ――嗚呼、やっぱりダメだった。やっぱりどうしたって僕は一人だ。

 神様は死にませんし、何でも出来ますが、自分の作った掟を、自分で破ることは出来ません。つまり――人を生き返らせるなんてことは。
 神様は、泣きながら娘の亡骸を、輝く粉に変えました。
 そうしてそれを地上に撒くと、地上には――

 地上には、それは美しい花畑が出来ました。
 神様の涙が雨となって降り注ぎ、そこに小川が出来ました。
 花畑の周りに森が出来、そうして、やがて美しい緑が青々と広がりました。

 神様はその花畑をただじっと見つめました。
 胸の痛みは、消えそうにありませんでした。

 むかしむかしの、おはなしです。


 ** 4.しらなくて よい はなし **

「お前は知らなくて良いことだよ」
 と、父が言いましたので、私は微笑んで頷くのです。

 私の世界は、父が全てでした。母が私を産んですぐに亡くなって、それから父は後妻も取らず、私を育ててくれました。私は母のぬくもりを知りませんが、父の優しさを知っています。暮らしに困ることはありませんでしたし、使用人たちは皆親切でした。

 ある夜。
 父が慌てた様子で私の部屋にやって来ました。
 その晩はなにやら騒がしく、私はなかなか寝付けずに、ベッドの上でランプの明かりを頼りに本を読んでいました。
 そこへ、大きな音を立てて部屋の扉が開き、父が早足で中へ入って来たのです。
 私は驚いて顔を上げて、父の表情が強張っているのを見とめると、何事かと首を傾げました。
「どうしたのですか、お父様」
 父は私の顔を見て、ほっと息を吐いたようでした。それからゆっくり――ともすれば慎重と言って良いほどの足取りで――私の元へやって来ました。
 そして、静かに告げました。
「安心なさい。不安なことなど何もない――お前は知らなくて良いことだよ」
 父がそういうので、私は微笑んで頷きます。父が大丈夫だというのなら、大丈夫なのです。今までだってずっとそうでした。外が騒がしいのも、何か理由があるのでしょうが、私が知らなくても良いことなのでしょう。
 父はうれしそうに微笑んで、私を抱きしめてくれました。それからゆるゆると私を寝台に横たえます。
「さあ、もう遅いのだから、お休み。恐ろしいことはないよ。外が騒がしいかもしれないが、大丈夫。目を閉じてしまえば、あとは夢が招くだけだ」
 私は父の言うとおりに目を閉じそして――夢の招きに応えました。


 ** 5.おうさま の ねむるよる **

 彼は小さな国の王である。
 土はやせていて豊かではない。かといって、その土から鉱石が取れるわけでもない。そんな小さな国であった。
 小さな国がこれまでやってこれたのは、そこが大国の接する場所であるからに他ならない。大国同士はいつも互いがいつ攻めてくるかをけん制しながら、お互い補い合わなければ生活が成り立たないような、歪な関係を続けていた。

 もともと、その二つの大国と、彼が王を勤める小さな国は、一つのとても大きく豊かな国であった。しかし、ある時跡目争いが起き、まず国が二つに割れた。それが、今の二つの大国の始まりである。そして、その二つの国の間に高い高い山があり、その山の盆地に彼の国は建った。その国を建てたのは、跡目争いをした王子たちの母親、つまり先王の后であった。
 二つの国は、そこを攻め入ることが出来なかった。飲み水を取る川の源流もまた、その盆地にあったためだ。もともと、痩せた土地であったので、どちらの王子も特に見向きもしなかった。だからこそ、后はそこに国を建て得た。后の国を狙うにしろ、互いの国を狙うにしろ、どちらにしても、水に毒を流す準備があると、后が建国と共に宣言したためだった。

 それから、何代かの世代交代があり、大国同士は歪んだ依存を築き、小さな彼の国は細々と生きていた。
 彼の国は、もともとは、后とその腹心、その家族、そしてどちらの国も信じられなかったわずかの民で建った国である。しかも、建国のいきさつゆえ、どちらの国を頼るわけにも行かぬ。もはや遺恨は絶たれたかもしれないが、しかしこの国が、二つの国にとって要所となっていることは今も変わらない。
 何もない小さな国ではあったが――滅ぼされる理由ならあったのだ。

 彼は小さな国の王だった。
「二つの国は、ついに手を結んで我が方を攻めるつもりです」
 将軍が言う。王は頷く。
 大臣は美しい金の紐で括られ、赤い蝋で封された手紙――羊皮紙をばさりと広げた。
「『我らは遺恨を捨て、再び一つとならんや』。どちらの国からも、同じ内容でございます」
 大臣が読み上げるのは手紙の内容。二つの国から同時に送られた、併合の手紙である。
 王はまた頷いて、それから将軍を見る。
「我が方に、戦える余力などあるまい」
「大変申し上げにくいのですが、左様でございます」
 心底申し訳なさそうに将軍が言う。それでも、戦えと命じられれば、身命を賭す覚悟は出来ていた。王はそれも見越したように柔らかに微笑んで頷いた。
「そもそも、この国はかの二国が戦わぬようにと願われて生まれた国。ならば、彼らが手を結ぶならばもはや、役目は終えたろう。在りし姿に還るのみだ」
 言って、王は立ち上がる。
 大臣はすぐさま、手紙に是と返事すべく手配を始め、将軍は軍の解体を指示する。
 王は満足そうに微笑んで言った。
「後は任せる。私は、最後の始末をつけねばならぬ」
 王は告げて歩き出す。
「始末とは何かをお伺いしてもよろしいでしょうか?」
 大臣の問いかけに、王は穏やかに応じる。
「この国の一番の【武器】を始末せねばらぬ。アレがある限り、この国を信じてなどもらえぬだろう。わが身を持って、アレを始末する――ゆえに、【後】は任せる」
 その言葉に、大臣と将軍は身を硬くし、それからさめざめと涙をこぼした。
「すまぬ。苦労をかけるが、頼む」
 そういって、王は――彼は一人その場を去った。
 大臣と将軍が、声をそろえて見送った。
「かしこまりまして!」

 その晩。
 彼は。
 王は。
 国を作った后が残した、この国の一番の武器を――いざというとき水を穢すために王家に秘されていた毒を、一人で全て飲み干した。


 ** 6.みらい の はなし **

 壺の中には最後に希望が残っていたので、人は期待することを知ってしまいました。
 最後にはきっと、良いことがあって、最後にはきっと、救われると。

 *

 ある、小さな国で王様が死にました。
 王様は国民にとても愛されていたので、王様の死を知って、国民はとても悲しみました。
 そのうち、王様は重臣たちに殺されたのだ、という噂が立ちました。王様が死んですぐ、この小さな国を囲む二つの大国と自分たちの国は最終的には合併を目標とする同盟を結んだので、自分たちの王様がこの国を捨てるはずがない、だからきっと、悪い重臣に殺されてしまったのだ、と、まことしやかに囁かれました。

 王様の葬儀は、とても盛大に行われました。それこそ、国中が喪に服し、涙で川の水に塩が浮いたとまで言われるほどでした。
 そうして王様の遺体は、国の一番の高台に、そっと納められました。

 王様には一人娘がいました。小さな国の、お姫様です。
 お姫様は王様が死んだ後、国民に向かって言いました。お姫様の父親が、お姫様に最後に言った言葉でした。

「安心なさい。不安なことなど何もない」

 お姫様がそう言うので――大事な王様の、大事なお姫様がそう言うので、国民たちは安心することにしました。王様がお姫様に遺した言葉なのだろうということも、すぐに察せられたので、国民は噂するのをやめました。
 自分たちが不安がることで、お姫様を不安にしてはいけないと思ったのです。お姫様を、お姫様に遺された言葉を、信じようと思ったのです。国民たちは、お姫様も大好きでした。

 雨が降って、雪が降って、そうして季節は巡りました。

 小さな国のお姫様は、国のことが落ち着くと、城を捨て市井に下り、そして民衆の中に消えていきました。お姫様がどこへ行ってしまったのか、もう誰も知りません。

 小さな国は、やがて大きな国と一つになって、とても大きな国になりました。小さな国の国民たちと、大きな国の国民たちは、始めのうちは戸惑いながら接していましたが、やがて一つの大きな国の国民として、分かり合えるようになりました。

 短くない年月をかけてようやく、小さな国と大きな二つの国が一つの大きな国になってなじんだ頃。
 そのとても大きな国の片隅の、小さな、とても小さな村が滅びました。その村の井戸水が、毒で汚れてしまったからでした。
 隣の村ともとても離れている辺鄙な田舎の村でしたので、人々が気付いたときにはもう、その村に生きた人は誰もいませんでした。井戸の水を調べて、死んでしまった人の血と肉を調べて、どうやら井戸水に毒が入っていたらしいと分かりました。
 けれど、他の村にそんなことは起こりませんでしたので、どうしてそうなったのか、誰がそうしたのか、誰にも分かりませんでした。

 その毒は、もともと【小さな国】の王室に伝わるものに良く似ていたのですが、一つになった今の国がもともと小さな国と大きな二つの国だったこと、その三国が昔、今と同じように一つで、悲しい理由で分かれてしまったことなど、すっかり忘れてしまっていたので、小さな国の毒であると気付いた人は、その国には誰もいませんでした。

 そして、そんな事件も、日々の暮らしと時の流れに、やがて解けて消えてしまいました。

 *

 神様のように扱われる狼がいました。
 とても長い時を生き、少しだけ不思議な力を使える狼でした。
 狼はある時、森で一人の女の子を拾います。
 もともとは良い暮らしだったのでしょう。仕立ての良い服を纏って、けれど落ちぶれてしまったのか、森で行き倒れていた、不思議な女の子でした。

「父が死んで、これから国は変わっていくでしょう。そのとき、きっと私は邪魔になると思ったので」

 狼が水と食べ物を与えると、女の子はすぐに元気を取り戻し、自分が行き倒れていた理由を話しました。
「行く場所がないので、狼さん、お邪魔でなければ、狼さんのおうちにおいてくださいな」
「うちなどない。僕は獣だから、人が暮らせそうな立派な住処などないよ」
「まあ、ならどこで雨風をしのぐんですか?」
「大抵のことはこの毛皮があるし、僕一匹なら木陰でも洞窟でもどうとでもなるからね」
「素敵ね。洞窟にしましょう! 洞窟で暮らせばいいわ!」
「……は?」

 そうして、狼と女の子の生活が始まりました。若干強引な感は否めませんが、彼女も必死だったのです。
 自分がどこにいるか、隠さねばなりませんから。

 女の子は、お城から消えたお姫様でした。
 もしも自分が国に、お城に残っていたら、一つの国になるときに、少なからず火種になってしまいます。いくら自分がそれを認めていたとしても、「自分の国が消えてしまう」国民にしてみれば、許せない人もいることでしょう。そんな時、旗頭になれてしまう自分は、いてはいけないと思ったのでした。

 狼も、女の子の話しぶりからそんな事情はなんとなく察せられたので、追い返すことも出来ず、かといって今まで通りに暮らしていくわけにも行かず、彼女の言うとおり洞窟暮らしに応じることになったのでした。

 それから、彼女が老いて死んでいくまで、彼女と狼は一緒に暮らしました。
 彼女は、狼の知らない人の世界のことを教えてくれました。狼は森で暮らす彼女を守り、寄り添います。

 今まで一人きりだった狼は、初めて一人出ないことを知りました。初めて、生きていることを想いました。
 愛されるのは心地良いことだと。愛すことは、幸せなことだと知りました。

 狼は彼女が――お姫様で女の子で同居人な、彼女のことが、大好きになりました。

 だから、女の子が女性になり、老婆になっても、ずっとそばについていました。
 狼は普通の狼とは違いましたので、彼女が老いても、狼は出会った時のままでした。

「付き合ってくれて、ありがとう。だいすき」

 何十年も共に生きて。
 大好き。
 その言葉を残して、彼女は息を引き取りました。

 狼は涙を流して泣きました。森中が震えるほどに遠吠えをして、森の周りの人々を驚かせました。
 神様のような狼が、哀しい悲しい遠吠えをするので、きっと何か悪いことが起こるのではないかと噂になりました。

 それから狼は、あんまりに哀しかったので、彼女と暮らした洞窟で、眠って暮らすことにしました。
 起きてしまうとどうしても、彼女がいないことを思い知ってしまうからでした。

 *

 井戸の毒で村が滅びそうになり、女の子は「おおかみさま」に会いに行くことにしました。「おおかみさま」は神様なので、きっと助けてくれると思ったからです。
 寝込んでしまった弟とお母さんに、
「きっと神様が助けてくれるからね」
 と言い残して、女の子は村を飛び出しました。

 子どもの足で何日も歩いて、川の水をすすり、通りすがりの人から食べ物を分けてもらいながら、ようやく、「おおかみさま」のいる森にたどり着きました。

 それでもう疲れきってしまって、森の中の、大きな木の下で女の子は座り込んでしまいました。
 荒い息を整えていると、やがてそれは嗚咽に変わります。

 本当は、これから「おおかみさま」を探して、お願いをしなければいけないのに座り込んでしまった。もう歩けないほど、体は疲れ切ってしまって。これでは、誰も助けられない。そう考えると、自然と涙がこぼれるのでした。

 どれくらいそうしていたことでしょう。
 木々の葉のこすれる音に、女の子は顔を上げました。

 そうしてそこに。

 大きな、とても大きな、狼の姿を見つけました。


【おしまい】