6. 遥か 深くの 暗闇で

「『彼女』が実用段階に入ったとか?」

「やはり時間がかかりすぎますな」

「しかもまだ実戦配備には至っていないと」

「これではいつ使い物になるやら」

「『彼女』は今どこに?」

「兵器施設でオーディンの適応試験中」

「『彼女』をあんなものに? もっと汎用性の高い兵器を与えて、さっさと前線に出すべきでしょう。勿体無い」

「彼女だからこそ、というのもある」

「ああ、何せ、『彼女』はclownに通じる」

「常識外れもはなはだしい。それとも、遺伝子絶対主義者なので?」

「まさか。ただ、遺伝子的要素も無視できないと言っているだけだよ」

「左様。どちらにしろ、アレが使い物にならなければ、戦況の打破は望めん」

「『彼女』にしろ、『戦神』にしろ、な」

 

 

 薄紅の、液体とも固体とも付かない、ゲルともジェルとも言えないそれに、後ろに倒れこむように沈んでいく。落下速度は、物質抵抗がある分空気中よりも穏やかだ。ずるずるとまるでゼリーに沈んでいくような錯覚を覚え、それが錯覚よりは事実に近いものだと思い至って、彼女は目を伏せる。いくらヘルメットがあるとはいえ、徐々に自分が沈んでいく様を見るのは気持ちの良いものではなかった。

 そのうち、周囲が完全に包まれた感触を確認して、彼女は再び目を開く。

 すでにハッチは閉ざされ、コックピットは完全な密室と化している。

 ゆるゆる沈みながら座席に収まると、パイロットスーツの、背骨に添うようにして並ぶ突起状の端子が、背もたれのジャックポットに鈍い音を立てて収まっていく。そのたび、表皮を走る電気的な痺れは慣れるものではないし、慣れたいとも、彼女は思わなかった。ただ、確実に起こる事象と、その結果の感覚でしかない。要するに、痺れは感じるけれどもそれが辛いとか苦しいとか感じるような感慨を、彼女は持たなかった。

 全ての痺れが去った後、急に世界が有り得ないほど鮮明に感じられて、あぁまたか、と無感動に理解する。本来見るはずのない、赤外線と紫外線を含む色の世界、全ての光の波長を認識する。それは出来の悪いサーモグラフのようであり、前衛的な絵画の一枚であるようにも見える。とはいえ、前衛的な絵画などをたしなむ趣味を、彼女は持ち合わせていないのだけれど。

 脳の中に無理やりねじ込まれる、本来認識するはずのない情報は、光波長にとどまらない。音波然り、温度差然り、果ては生命反応に金属反応、電波、磁場、空間軸に位相空間。あらゆる戦術センサーの反応が、逐一脳内に反射され、投影される。同時に、脳で処理できない分は引き出され、機体のコンピュータが一定の処理を行い返してくる。それは無意識に浸透し、自分の表層自我とは関係なく行動を起こし得る。戦場でベテランの勘とか言われるものも、デジタル化されて自分の無意識に無理やり押し込まれるのである。

 前のテストパイロットが、無意識に自我を喰われるとか何とか喚いて、心身に異常をきたし任を解かれたことを彼女は知っている。周囲は自分の耳に入れまいと必死で隠しているようだが、この機体に乗ってしまえばそんなことは無意味だ。本部システムに侵入することも、故人の戦歴やカルテを見ることも容易い――彼女自身、前任者の容態はそうして知ったわけだけれども。

 この機体に対して、自己を主張するからそうなる――彼女はそう断じた。この機体は、『自分』が全能だと思っているのだ。思っている、という表現が正しいかはともかく、そう表すしか彼女は出来なかった。

 ともかく、全能だと思っている奴には好きにやらせておけばいい。そうして自分に危険が迫れば、その全能であるという鼻っ柱を折ってしまえばいい。そうして手綱を取り戻せばいい。実際、彼女はそうした。

 コックピット内のモニターと、擬似情報で作り上げた仮想戦場で、彼女は何度となくそうやって『生き抜いた』。おかげで今のところ、彼女の仮想戦場での戦績は全勝であった。

 

【これなら安心して前線に出せるなぁ】

 脳内に直接響く通信に、彼女は顔を顰めた。この機体のシステムは全てパイロットの脳に繋がっており、例え通信さえ耳からは聞こえないのである。

「そうですか」

 彼女は無感動にそう呟く。別段声にする必要もないのだけれども、そうしなければ自分が人であることを忘れてしまいそうになるのも事実なので、彼女は出来る限りコックピットにいる間、人間の感覚と器官を使うようにしていた。

【ああ。ところで、ずっと聞きたかったんだが……その、なんだ。今までのパイロットには聞く機会もなかったから】

「なんですか?」

【その、防御液幕に入る瞬間というのは、どんな感じなんだ?】

「入ったこと、ないんですか」

【残念ながらね】

 彼女はセンサーの一部を走らせ、この会話の相手を機体の外に探す。すぐに見つかった男は、この施設の主任研究員だった。自分で乗ったこともないものに、パイロットを乗せるのかと毒づきたくなったが、彼女は口をつぐんだ。彼らの仕事は解明することで、乗るのはパイロットの仕事だ。彼女はすぐにそう納得して、彼の問いにどう答えるかということだけに意識を集中した。

「フルーツインゼリー」

【ん?】

「私、フルーツインゼリーが好きなんです。果物が入ってる……」

【用意するか? 部下に持ってこさせるが】

「いえ……その、果物の気分が分かりますよ」

【そういうものか】

「私にはそういうものです」

 ――食べられてしまう。

 それも、含めて。