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「質問してもよろしいですか」
門を入ってすぐの時だった。彼女がそう声をかけてきたのは。
少女、と言って差し支えない年齢の人物が、白い軍礼服に身を包み、敬礼などして自分にそう問い掛ける様は、どこかちぐはぐで、それゆえに『畏怖』と言っても良い様な緊張を、私に感じさせた。
「構わないよ」
振り向いて敬礼を解かせ、私がそう応じると、彼女は少し躊躇う様な――言葉を選んでいたのだろう――素振りを見せ、それから口を開いた。
「何故私に、三年間の猶予を下さったのですか? 恐れながら、現状にそれほどの余裕があるとは、私には思えません」
目前の白い建物に入ってしまえば、もう私とこうした会話をすることはない。これが最後になると分かっているのだろう。
三年間、彼女は軍事教練さえ課されない唯一の学校に在籍していた。それでも彼女にだけは訓練義務があっただろうから、放課後などはほぼそれに費やされていただろう。それでも自分がこれから生きていくであろう戦場から、一番遠い場所で過ごしていたことは事実だ。いくら戦争が彼女の生まれる以前から続いていたとはいえ、すぐにでも使える兵士をわざわざ一度、戦争から隔絶した環境に置くというのは、戦略上有効であるとは思えない。彼女は彼女という兵士の思考でそれを考え、こうして私に問うているのだ。
「戦争しか知らないというのは、不幸なことだと私は思うよ」
「そのために用意されたのが私です」
「知っている。しかし、君を戦場に送り出すのは、決して勝つためではない」
私の言葉に、明らかに彼女が動揺しているのが見て取れた。勝つためではないなどと上官に言われれば、兵士は皆戸惑うだろう。
「ましてや、敵を殲滅することでもない」
「では……何の、ためなんですか」
今までの価値観を揺さぶられて、彼女は戸惑っているのだろう。少し声が震えている。
「君が戦場に立てば、君の後ろには何十億という命がある。君の――兵士の仕事は、それを守ることだと、私は考えている。勝ち負けは問題ではない。誰もが平穏を望む。それは当たり前だ。誰も死の恐怖に怯えずに済むならそれに越したことはない。例え負けても、戦争が終わり平穏が全ての人に訪れるなら、それはまた『正しい』結果であるはずだ」
私がそこで息を吐くと、彼女は明らかに動揺した様子で顔を青ざめていた。
「だが、『平穏』を知らない者が、平穏を守れると思うか? 平穏を作れると思うか? 知らない料理を作れと言われて、すぐに作れる料理人がいれば、私は会ってみたいものだ」
彼女は何も言わない。ただまっすぐ、私を見ていた。まだ動揺の色は消えないけれども、何かの確信を得たような表情に、私は安堵を覚える。
彼女は聡い。だからこそこんなところに連れて来られた――そして自分が連れてきたのだと思うと、罪悪感がないわけではない。しかし上にしてみれば、聡過ぎる兵士は危険でしかない。遅かれ早かれ、この戦争の仕掛けと真実に気付くだろう。優秀な兵士であるように用意された彼女はしかし、優秀でありすぎたということか。三年間、自分が彼女をあの学校に通わせていたことも、上はお見通しのはずだ。だから、こんな配属命令が下る。
「平穏は、どうだった?」
話の終わり、私はそう彼女に問うた。
すると、彼女は今まで――あの学校に送り出すまで、見たこともなかったような、幸せそうで、そして悲しそうな笑みを浮かべた。
「とても……とても、すばらしいものでした」
彼女に与えたかった平穏は、確かにそこにあったのだろう。そして、彼女はそれを失ってここにいる。私の問い掛けは彼女に平穏の記憶と、その別れの記憶さえ思い出させてしまったのだろう。その事実に私は安堵し、そして同時に罪悪感を覚えた。失うとわかっていて与えることは、果たして本当に良かったことなのだろうか。彼女のためと言いながら、自己満足をはたしただけではなかったか。
「感謝しています。あそこで三年間、過ごせたことを。忘れなければ別れはないと、言ってくれる人もいました」
彼女は、兵としてでなく彼女という存在として私にそう言ってくれた。私の不安を感じ取りでもしたのか。その言葉は、私の不安をすっと溶かす。
私は一つ息を吐く。きっと、彼女なら大丈夫なのではないかという根拠のない安堵さえ私の中に生まれていた。
この配属は、彼女を前線に出さないための思惑がある。戦争の事実を見せまいとする思惑が。ならば兵士にしなければいいのに、今までの彼女の『制作費』を考えれば、それも無碍には出来ない。苦肉の策が、試作兵器の試験体。それも今まで何人もの調整兵を食いつぶしてきた曰く付きのものだ。彼女さえ、食いつぶさせるつもりなのだろう。
「……君なら、きっと覆せる。あの機体のジンクスを」
そういいながら、私は彼女にIDカードを差し出す。これからの彼女の身分を軍内で示すもの。彼女の所属と名前が電子データで記録されているカードだ。
彼女はそれを受け取りながら、
「わかりません。それは」
と、静かに返す。彼女の表情にはもう、『彼女』はいなかった。そこには、一人の兵士の顔があった。
「モノ。君は今この時点を持って、シュマ・サラティースという名になる。階級は軍曹。サラ・モノ――一番目のサラなどという名を、もう名乗る必要はない。シュマ・サラティースは、君のために用意された名だ」
私の言葉に、サラ・モノであった者、シュマ・サラティースとなった者が、しげしげとIDカードを眺める。そして、カードを胸ポケットにしまうと、私に敬礼した。
「シュマ・サラティース軍曹。配属を拝命します。それでは」
彼女は敬礼をとくと、白い建物に向かって歩き出す。私はその背をただ見送る。敷地の中の、一本だけの桜の樹が、はらはらと薄紅の花びらを散らしていた。