8. 星の 飛び散る この胸で

 ――突然だが。

 いや、僕にとっても突然の出来事だったのだけれども。

 ある日僕は上司から、『婚約者』を与えられてしまった。

 候補として紹介されたわけでなく、お見合いをしたわけでもない。

 既にある事実として、突然に与えられたのだ。

 彼女――名前はシュマ・サラティースと言うらしいけれど――は既に前々から僕を知っていたかのように僕に接した。というか、彼女にとって僕は昔からの知り合いであり、婚約者なのである。

 僕にしてみれば、彼女に会ったのは間違いなく上司から言われたその瞬間が初めてで、僕は出会ったその時に、嬉しそうに「お久しぶりです」などと言われて、面食らうしかなかった。幸いだったのは、彼女がその反応を、僕が再会を驚いた為だと思ってくれていたことだ。

 彼女は僕の上司に言われ、先に退室した。その後僕が上司から言われた言葉は、僕には信じがたいことだった。

 

「彼女はそのように調整されている」

「だから彼女の記憶と矛盾しないよう努めたまえ」

「君は彼女を軍に繋ぐ鎖の一つになる」

「これもまた、君の『任務』の一つだ」

 

 つまり彼女は、彼女自身を軍に繋ぎ置く理由の一つとして、僕という存在との関係の記憶を(恐らく彼女の意思など関係なく)与えられ、それを信じているのだろう。自らの楔を自らで肯定して。

 それほどまでして、軍は彼女を留め置きたいのだろうか。それほどの価値が彼女にある?

 なら、それだけの価値を見出されながら、彼女は価値に見合った人としての扱いがなされていない。

 否。

 まさかそんな。

 思い浮かんだ推論は、むしろはっきりと容を成していく。

 ――彼女の価値はむしろ、『人として扱わない』ことにあるのか?

 兵器のパーツ。消費されていく戦力。

 それと同等の?

 それだけの価値。

 それだけの価値が、ある?

 それだけの価値しか、ない?

 

 それから、僕と彼女のこの奇妙な関係が始まった。

 

***

 白いタイルの通路に、ヒールの音を響かせながら彼女は歩んでいく。いくら止めたところで聞かないのはもう分かっているけれども、それでも止めなければならないのが僕の立場であり役割だ。彼女の婚約者という役を与えられてから、もう半年が過ぎる。彼女に対し、できる限りの楔を軍に打ち込んでおくというのが目的であるこの婚約は、僕の意思も彼女の意思も存在しない。

 それでも僕は彼女を気に入っていたし、付き合ってからの彼女は僕に対してだけは女らしい面も見せてくれた。少なくとも、僕は彼女に対して女性に対する好意というものを持っていたし、この婚約も上の命令であるとはいえ、今では嬉しいものだと思っている。

 彼女の方はどうかしらない。そもそも彼女は、思考や記憶を調整されているから。僕との関係を厭ってはいないようだし、むしろ嬉しそうにするときもあるから、悪くはない感情を持って入るだろうけれども、それも彼女への調整の結果なのか、彼女自身の感情であるのか、それは分からない。

 彼女は普通の人間とは少し違うらしい。詳しい経緯は知らないが、彼女は望んで軍に入ったというよりは、入ることが生まれたときから義務付けられていたそうだ。戦争は続いているが、未だ徴兵制度が採られていない現在、義務付けられての入隊など皆無といってよい。彼女は天涯孤独で両親はなく、軍人家系であるというわけでもないから、本当に無関係であったはずだ。

「君が前線に出る必要なんてないだろう、サラ!」

 追いかけながらそう言えば、彼女は立ち止まって振り返った。

「だって、命令なんです。大尉」

「命令って……君が承服しなければ良いだろう? なんなら僕が上に掛け合っても――」

 純粋に、僕は彼女に戦場に出て欲しくない。彼女が――サラが危険に晒されるなど、考えるだけでも恐ろしい。サラというのも、僕がつけた彼女のあだ名だ。そう彼女を呼ぶのは僕しかいないことが、僕のほんの些細な喜びだったりする。

 彼女と結婚して、子を産んで、育てて。そんな未来を夢想する程度には、僕は彼女に入れ込んでいたものだから。

 彼女は僕の『婚約者』として調整されている。だから彼女が、僕の意向に逆らうというのは考えられなかった。今までずっとそうだったのだ。二人が『婚約者』という関係の下で会う時は。

「大尉」

 だから、彼女が厳しい口調で僕を見上げてきたとき、違和感と、そして抗いようのない畏怖を感じた。

「あなたの階級は、私を守るためでなく、あなたがあなたの手によって得、そして負った責任です。私を理由に公私混同など、なさらないでください」

「婚約者を守ることが――愛した女を守るために自分の持てる総てを使うことが、君は誤りだって?」

 本気と建前を半々に混ぜて問い返せば、彼女は頷く。

「時と場合によります。そして今は、その時ではない」

「感情にTPOを求める? 感情は本能だ。……制御するなんて無理だよ。表面的に出来たとしても。――それとも、君は本能的な意味で、僕を愛してはくれていないのかな」

「愛してるわ。私の中で、あなたはそう定義されている。けれど、それよりも任務を優先させるべきだとも、私の中には定義されているの」

 少し悲しそうに顔をゆがめ、彼女はそう言う。

「それに……私が、行きたいの。私自身が」

 彼女がまっすぐ僕の目を見る。僕は射抜かれたように立ちすくんで、彼女を見つめ返した。

 彼女の中にある定義は、つまり軍が彼女に『組み込んだ』定義だ。彼女が今望んでいる出発は、その定義から来るのか、それとも彼女自身の意思なのか。瞬間的な判断に介入できるほど、細かく確定した、『記憶』や『感覚』や、それこそ『定義』を組み込むことなど、今の技術では不可能だろうとも思う。彼女がそうしやすいように――

 

 あらかじめ作られていたとしても。

 

 ならば、これは間違いなく彼女の意思なのだろう。

 

「必ず、帰っておいで。きっとそのうち、僕もまた戦場に行くだろうけど、そこでは出来れば会いたくはないな。血生臭すぎて。それに、二階級特進で再会、なんてのもお断りだ」

 彼女はそっと目を逸らす。気にせず、僕は続けた。

「確約できるモノじゃないこと位承知だ。ただ、君は命令で死ねといわれたら迷わず死にそうだからね。そんな命令が出たときには、このこと、思い出して欲しい。少しでいいから、迷って欲しいんだ。死なないで欲しいから」

 彼女は視線を僕に戻し、じっと僕を見た。

 僕も彼女を見返して、それから何も言わないまま、僅かな時が流れた。

 

 それから彼女は前線に行って。

 

 そして。

 僕は彼女に、二度と会うことがなかった。

 

***

 彼女がどうなったのかは知らない。

 戦争が終わっても、まだ彼女の生死はようとして知れない。MIA認定されていたから、おそらくはどこかの戦場で死んでしまったのだろう。

 戦場が宇宙へ移ってからというもの、MIA――Missing in Action 戦時行方不明認定される兵士の数は急激に増えた。爆破の衝撃などで一度吹き飛ばされてしまえば、慣性でどこまでも飛んで行ってしまうからだ。今ではMIAなど、もはや戦死認定に等しかった。

 死んだだろうと思うし、MIAである以上、戦死で間違いはないだろうと思うのに。

 まだ僕は心のどこかで、僕は彼女の生存を信じている。

 星の海のどこかで、彼女はまだ生きているように思う。

 それは、願っているのかもしれない。僕自身が。

 

 彼女の駆る『戦神』が、今もまだ、どこかの星系で舞い飛んでいるように、思う。