9. 夢の 終わりの 泡沫で

 あの人がいた。

 ――今はもういない。

 彼女がいた。

 ――今はもういない。

 私がいた。

 ――今は……

 

 

 薄らと目を開くと、見慣れた天井が見えた。

 金属とも非金属とも思えない、不思議な光沢を放つ天井。どこに光源があるのか分からない、あるいは部屋全体が淡く発光しているかのような景色。

 私は、まだ自分が『ここ』にいることに安堵しながら、しかしうんざりとしか表現できない感情が自分の中に渦巻くのを感じた。複雑な思い、といえば聞こえはいいかもしれないけれど、これは私が選んだ結果だった。

「夢を見たわ」

 呟くと、どこからともなく「そうですか」と応じる【声】。

「みんな、いた」

 言うと、ゆっくりと体を起こす。体が軋みを上げるかと思ったけれども、それほどの苦痛はない。寝過ぎた朝の倦怠感に近い。

「それほど、眠ってないのかしら?」

 問いかければ、【声】は静かに答える。

「五年ほどです。今まででは、一番短い周期でした」

「……そうなの」

 まだ末端に冷えは残るけれども十分だ。五年で起こされたということは、何か戦況に変化があったのだろう。【声】の主は命令を遂行できるけれど、自分で命令を作ることは出来ない。

「何があったの?」

 と問えば、【声】は初めてその姿を見せる。立体映像が現れるときの特有のノイズとイオン臭を引き連れて。どこかの軍の礼服のような、この部屋の景色に不釣合いのようで一番しっくり来るような、なんとも言えない格好をしたがっしりとした体格の男だった。

「……マスターです」

「幸(みゆき)? アリエスが出たっていうの?」

 問い返せば、男――名前をレオというのだけど――は、首を左右に振った。

「どういうこと?」

 彼の言うマスターとは紛れもなく、『幸』以外にありえない。そして、幸が現れるなら、そこにはもちろん彼女の座乗艦であるアリエスがいるはずだった。それが違う、という。

「マスターらしい存在はあります。しかしアリエスはいません。マスターの気配だけがあります」

「気配……そんなもの、信じているの?」

「私も元は『気配』の存在ですから」

「……そうね」

 私は頷いて、ベッドから立ち上がった。ベッド、といってもそれは冷凍睡眠用のカプセルだ。戦争の始まりから終わりまで、私は見届けなければいけない。

 

 戦争を始めたのは、私なのだから。

 

「幸らしい誰かは、敵? それとも味方?」

 レオはその問いに苦しげに顔を顰めた。戦艦の制御人格であるはずなのに、この人間染みた動きは何だろう。

「敵なのね」

 確認するように問えば、静かに頷く気配。

 私もそれに頷きを返す。

「起こしてくれてありがとう。レオ。確かに、あなたに任せるには申し訳ない相手だわ」

 五年から六年の周期で目覚めては、戦況を見る。あらゆる状況を想定した指示を出し、そしてまた眠る。もうどれ位、私は『戦争』を続けているだろう。どれくらいの人が、生まれ、そして死んでいっただろう。

「……レオ。もう何年経ったかしら」

「四十六年ほどです」

 四十六年。あの頃のまま年を重ねていれば、もうかなりおばあさんだろう。私も、幸も。けれど、レオが未だ私と共にいるということは、幸は死んでいないはずだ。

「あなたは、幸のところに帰りたい?」

 問えば、レオは困ったような顔をする。

 レオは幸に、私に従うように言われている。正確にはどう命じられているか知らないけれども、少なくとも私と共にいるように命じられている。

 けれど、今、幸らしい誰かは、私にしてみれば敵に当たる陣営にいる。

 幸のところに帰るというのは、レオにとって喜ばしいことかもしれないけれども、幸の命令には反する。しかし、このまま私といても、主に弓引く行為を働くことになる。

「……わかりません」

 静かにレオがそう答えるのへ、私は微笑んだ。

「そうよね……自壊を防ぐためには正しい判断だわ。判断を保留する、あるいはなかったものとするのは」

 レオが若干むっとした顔をしたけれども気にしない。彼にはまだ私の味方でいてもらわなければならないのだから。

「あと、どれ位かかるかしら」

 ぼんやりと呟くと、レオはついと指を中に滑らせ、そこに平面的な映像を取り出す。何もない空間に画像が浮かぶ様は、始めこそ驚いたけれども今ではもう慣れてしまっている。

 慣れていくんだろう。きっと。

 私がこの状況に慣れているように。

 人もきっと戦争がある状態に慣れてしまっているだろう。

「先頭船団はあと五年かかりません。最終船団さえ、あと十年は要らないでしょう」

「なら、もう眠る必要もないわけね」

 ――あと十年。

 あと十年もたせられれば、後はもういい。あの人の遺志を継ぐ『彼ら』がたどり着いてくれるなら。

 旅立つための戦い。旅立たせるための戦い。

 最後の壁であり続けること。

 それが、私が決めたこと。あの人に誓ったこと。私自身に誓ったこと。

「悪いわね、あと十年付き合って。そうしたら、あなたは幸のところに帰っていい」

 レオはじっと私を見る。

 じっと見つめて、そして頷く。

 あと十年。

 

 ――そうしたら、あなたのところに行けるかしら。

 

 ――そうしたら、あなたは褒めてくれるかしら。

 

 夢の時間はおしまい。

 これからが現実。

 私の、現実。